大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)2801号 判決 1988年7月15日
原告
杉山正一こと
河鐘file_3.bmpこと
河鐘録こと
河鍾file_4.jpg
右訴訟代理人弁護士
三宅玲子
被告
奈良県
右代表者知事
上田繁潔
右訴訟代理人弁護士
米田file_5.jpg邦
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金八〇〇万円及びこれに対する昭和六二年四月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
1 当事者
原告は、被告が設置運営している奈良県立医科大学附属病院(以下、「被告病院」という。)において昭和五二年三月二七日死亡した杉山春吉こと河天奎(以下、「春吉」という。)の長男である。
2 春吉が死亡に至る経緯
(一) 春吉は、昭和五一年一二月二六日、腹部の激痛を訴え、被告病院において診察を受けて即日同病院に入院した。
(二) 春吉は、同月二七日、主治医の中野医師から、汎発生腹膜炎及び穿孔性胃潰瘍との診断を受け、中野医師及び深井医師らの執刀により、穿孔部を閉鎖するための穿孔楔状切除及び幽門部縫合手術並びに胃の傷口へ刺激を与えない目的での胃液の体外流出のための胃瘻造設術を受けた(以上を「本件手術」という。)。
(三) ところが、本件手術直後から、右胃瘻造設術によって造設した胃瘻管がつまり、胃液が他の場所から胃外へ漏出し、胃瘻造設部及び腹壁手術創縫合部を侵害し、腹腔内にも浸出した胃液によって腹膜炎の合併症が悪化し、右縫合部がfile_6.jpg開した。
(四) 中野医師らは、昭和五二年一月二一日、胃瘻管を抜去し、造設部を縫合する手術を施したが、その後も右縫合部より多量の胃液が漏出し、皮膚発赤、糜爛が生じ、右縫合部が再びfile_7.jpg開した。
(五) 中野医師らは、右file_8.jpg開した縫合部に木綿を乗せ、創部を圧迫して治療する処置を施したが、胃液の漏出と木綿による圧迫のために呼吸困難、血中酸素不足、血流不足を生じ、その結果縫合部のfile_9.jpg開が拡大して治癒不可能な状態となり、諸内臓に過大な負担がかかって全身が著しく衰弱し、生体の自然治癒能力が弱くなった。
(六) 結局、春吉は、昭和五二年三月二七日、死亡するに至った。
3 診療契約の成立
春吉は、昭和五一年一二月二六日、被告病院の診察を受けて、即日被告との間において診療契約(以下、「本件診療契約」という。)を締結した。
4 被告の債務不履行責任
被告は、その履行補助者である中野医師らの以下に述べる注意義務違反などによる本件診療契約上の債務不履行によって、春吉を死亡させた。
(一) 中野医師らは、入院時の春吉の症状が、軽い風邪をひいていたが肺炎は併発していなかったものであるから、胃管チューブを同人に用いるとしても、経鼻的方法により胃管チューブを胃内に挿入すべきであったにもかかわらず、胃に直接穴を開けるという危険性の大きい右胃瘻造設術を施し、胃瘻造設部のfile_10.jpg開に基因する春吉の死亡の結果をもたらした。
(二) 中野医師らは、本件手術の際、胃瘻造設術をもすることが当然に予想され、かつ、胃管チューブの挿入方法としては経鼻的なものも存するのであるから、患者及び保護者に対して胃瘻造設術の内容、必要性やそれによって生ずる合併症、経鼻的方法との比較などについて説明し、その承諾を得るべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、原告らの承諾を得ずに右手術を施した。
(三) 中野医師らは、本件手術後である昭和五二年一月三日ないし五日ころから、胃瘻造設部周辺から胃液が漏れ、腹腔内及び腹壁表皮面まで漏出して腹膜炎が悪化し、file_11.jpg開した胃瘻造設部が拡大するとともに腹壁手術創縫合部もfile_12.jpg開し始めたにもかかわらず、適切な治療処置を採らなかった。
(四) (三)記載の如き縫合部file_13.jpg開が生じた際、通常、絶食、抗生剤投与、高カロリー輸液等の非手術的療法を行なうが、これら療法の施行期間は、縫合不全においては胃切除後平均三九日くらいまでとされており、それまでに改善が認められないときは、右病状が悪化の一途をたどるのが常であるから、その後は早期に再手術を行うべきであるにもかかわらず、中野医師らは、本件手術後五〇日あまりを経過した昭和五二年二月一六日に至って初めて原告らに再手術を勧めたものであって、再手術の時期を失した。
(五) 被告には、診療契約に基づく一般的な注意義務として、患者の病状などについて必要に応じて説明する義務があるところ、本件治療の全過程を通して以下に述べるとおり説明をする必要があったにもかかわらず、これを怠った過失がある。
(1) 前記4(二)のとおり、本件手術施行に際して、胃瘻造設術の必要性やそのために起こる合併症について説明をしなかった。
(2) 本件手術後数日の間に胃瘻管がつまり、半日くらい胃液が流出しないことが再三生じ、また、突然右管から新鮮血が出、あるいは、昭和五二年一月初めころからは胃瘻造設部の周辺から胃液が漏出して同部を侵害し、腹壁手術創縫合部がfile_14.jpg開したが、これらの原因などについて原告が説明を求めたのに、中野医師らはこれに応じなかった。
ことに、春吉は手術後七日から一〇日後くらいから早期術後合併症が発生したものと思料され、このような症状の転帰があったときには、患者やその保護者に通常より慎重な説明をする必要があるのにこれをしなかった。
(3) 胃瘻管を抜去した同年一月二一日以降も胃液の漏出が続いたため、原告らが再三春吉の今後の治療見通しについての説明を求めたにもかかわらず、中野医師らは、様子を見ているというだけで、その説明に応じなかった。
5 損害
春吉は、被告の前記債務不履行により、入院中の約三か月間筆舌につくせぬ激痛を訴え続けて死亡したものであり、その精神的苦痛に対する慰謝料は金八〇〇万円を下らない。
6 相続
春吉は、昭和五二年三月二七日死亡し、原告は、同人の権利を単独で相続した。
よって、原告は、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として金八〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年四月二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否等
1 請求原因1の事実のうち、原告が春吉の長男であることは不知。その余の事実は認める。
2 同2(一)、(二)、(六)の各事実は認め、その余の事実は否認する。
昭和六二年一月一日に腹壁手術創縫合部が、同年二月二日及び一二日に胃瘻造設部がそれぞれfile_15.jpg開しているが、右各file_16.jpg開は、腹膜炎の残した感染症と、術前からの春吉の全身状態の悪化によって生じたものである。
春吉が死亡するに至ったのは、同人の疾患そのものが重篤であったうえ、入院時七九歳の高齢で、全身状態が悪化していたため、感染症と縫合不全が発生したためである。
3 同3の事実は認める。
4 同4は全て争う。
同4(一)について、春吉は、本件手術当時、肺炎を併発しており、このような場合に鼻腔チューブを用いると肺の症状を進展させ、術後肺炎を悪化させる危険性があり、また、このチューブは患者に苦痛を与えるものである。なお、汎発性腹膜炎が発生していたのであるから、鼻腔チューブを選んでも腹壁手術創縫合部の感染症や縫合不全の危険性は残る。
同4(二)について、中野医師らの選択は、右のとおり、十分に根拠のある当然の付随的選択であり、かつ、緊急手術の際でもあるので、特に独立して説明し同意を得なければならないような処置ではない。
同4(三)、(四)について、中野医師らは、本件手術後の経過の中で、患者の容体の変化に応じて処置を重ねており、その術後治療は適切であったものであるが、これらの局所的、保存的な処置では改善しないことが確認されたため、昭和五二年二月一六日から同月二三日にかけて再手術を勧めたものであるが、原告らはこれを拒絶したものである。
同4(五)(2)(3)について、中野医師らは原告らに十分に説明している。
5 同5の事実は否認する。
6 同6の事実のうち、春吉が昭和五二年三月二七日に死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。
三 抗弁
1 診療契約における医師の債務は結果債務ではないと解すべきであるところ、原告の主張自体から明らかなように、原告のいう債務不履行は昭和五二年二月以前のものである。中野医師らによる昭和五二年二月一六日から同月二三日にかけて再手術の勧めを原告らが拒絶したことによって治ゆの可能性は完全に消えている。原告は、春吉入院中から被告病院の過誤があったとして攻撃もしていたから、債務不履行の認識がなかったともいえない。ところが、原告の本訴提起は昭和六二年三月二六日であるので、原告主張の債務不履行の日である昭和五二年二月以前から一〇年を経過している。
2 被告は、本訴において、右消滅時効を援用する。
四 抗弁に対する認否
抗弁1の事実中、被告主張の再手術の勧めを原告が拒絶した(成功率を危惧したことによる)こと及び本訴提起の年月日は認めるが、その余は否認する。被告が春吉に対して負担していた本件診療契約上の債務は、患者の治療、転医、死亡によって終了(再手術を拒絶したからといって診療契約は終了しない)し、その履行の適否についての判断が可能となるという結果債務であるから、その債務不履行による損害賠償請求権の消滅時効は、春吉の死亡の日の翌日である昭和五二年三月二八日から進行するものと解すべきであるところ、原告は、昭和六二年三月二六日本訴を提起したものであるから、本訴提起時において消滅時効は完成していない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1、6の事実のうち被告が設置運営している被告病院において春吉が昭和五二年三月二七日死亡したこと、同2(一)、(二)、(六)の各事実、同3の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二被告は、春吉に対する診療債務について、仮に被告の債務不履行が存したとしても、右債務不履行は昭和五二年二月二八日以前のものであるから、これに基づく春吉ないし原告の損害賠償請求権は、右債務不履行の日から一〇年を経過した日である遅くとも昭和六二年二月二八日には時効により消滅した旨主張するので、まずこの点について判断する。
1 被告主張の再手術の勧めを原告が拒絶したことは当事者間に争いがないほか、前記争いのない事実に、<証拠>を総合すれば
(一) 春吉(当時七九才)は、昭和五一年一二月二六日、腹部の激痛を訴えて被告病院の診察を受け、汎発性腹膜炎及び胃又は十二指腸の潰瘍による穿孔(本件手術により胃の穿孔と判明)との診断を受けて即日同病院に入院したこと
(二) 春吉は、同月二七日、遊離ガスが出現し、汎発性腹膜炎の症状が顕著となったため、深井医師らは緊急手術を行うこととし、原告の承諾も得たうえ、同医師らの執刀により、上腹部を正中切開し、胃の幽門前部近くにあった穿孔を閉鎖するため、同部分を楔状に切除したうえ、ホースレーの幽門形成術によりこれを縫合閉鎖し、栄養補給及び胃液等の排出の目的で、胃体部大湾側寄り部分にカーダー法によりネラトンカテーテル(胃瘻管)を挿入する胃瘻造設術を行う(なお、栄養補給及び胃液等の排出のためには、鼻腔ゾンデを用いて経鼻的に管を胃内へ挿入する方法もあるが、被告病院の医師の所見によれば、当時、春吉には腹腔内の炎症が肺に及んでおり、右方法によると術後に肺炎等の合併症が懸念されたことから、胃瘻造設術によったものである。)とともに限局腹膜炎予防のため、腹腔内を生理的食塩水にて五回洗浄し、肝床等の腹腔内四か所にそれぞれシリコンチューブ、ビニールシートを挿入し、ネラトンカテーテルを腹壁手術創から出して、同手術創を縫合閉腹する手術がされたこと
(三) その後春吉は、本件手術後から死亡まで、腹部の痛みを訴え、また、右ネラトンカテーテルから新鮮血あるいはコーヒー残渣様の液の排出があったりあるいは半日間全く排出がなかったりなどしたため、原告などの春吉の家族は再三その原因等を被告病院の医師に尋ね、医師らがその原因と思料する状況を説明したものの、容易にこれを納得しなかったこと
(四) 昭和五二年一月一日、春吉の腹壁手術創の縫合部分の三か所に皮下膿瘍が生じ、その治療を施したものの、同月五日、右手術創部分が右皮下膿瘍のためにfile_17.jpg開し、縫合不全を生じていたことから、被告病院の医師らは、右縫合不全の原因が春吉の高齢と栄養状態の不良にあると判断し、同月九日から春吉に高カロリー輸液を実施したが、原告は、これに先立つ同月七日、春吉の健康が回復しないことなどから、被告病院の医師、看護婦の行為に疑念を抱き、点滴の補液瓶に毒が混入されているとして警察官を呼び、あるいは、輸液回路を糸で縛ったり電源を切ったりなどしたこと
(五) 被告病院の深井医師らは、水溶性造影剤により胃内容物の小腸への通過が確認できたので、同月二一日、ネラトンカテーテルを抜去し、胃瘻造設部を縫合して閉鎖し、同部分を木綿で圧迫していたところ、同年二月二日、右部分がfile_18.jpg開し、即日縫合して閉鎖したものの、同月七日及び一四日に、それぞれfile_19.jpg開したこと(この間、同月一二日に縫合して閉鎖している。)
(六) 被告病院の医師らは、腹壁手術創や胃瘻造設部の縫合不全が続いていることから、それまでの保存的療法に代えて再手術を行う必要があるとの結論に達し、同月一六日原告らに対し再手術の必要性等を説明し、これに応じるよう説得するも、原告からその成功について疑問があるとして拒絶され、もう一度考慮するように説得したが、同月一八日、原告らから再度拒絶され、更に、同月一九日、二三日にもそれぞれ再手術に応じるように説得したが、各同日、原告らからこれを拒絶されたのみならず、医師らに治療上の過誤ありと主張されるに及んだことから、やむなく再手術による治療を断念するとともに保存的療法を継続するにとどめたこと
(七) 原告は、同年三月七日、八日の両日、深井医師らに対し、今の状態ではよくなる可能性はないから、家族の言うとおりにして欲しい旨述べ、胃瘻造設部を石けん入れあるいはゴム風船で圧迫して欲しいなどと申し入れ、これを断られるや、自らコンドームに水を入れて胃瘻造設部を圧迫し、同月一六日には転医あるいは退院を申し出るに至ったこと
(八) 春吉は、全身が衰弱して心不全を発症し、同月二七日に死亡したこと
などの事実が認められ、これに反する原告本人の供述部分は採用しえず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
2 ところで、診療債務は、医療の特質に照らすと、病気の治ゆという結果の達成自体を内容とする債務ではなく、それに向けて医療の一般水準に沿った最善の診療行為をすることを内容とする手段債務であると解するのが相当である(したがって、診療契約が患者の死亡等により終了して初めてその債務履行の適否の判断が可能である結果債務であるとの原告の主張は採用の限りでない。)。そして仮に、被告に、原告主張のごとき診療債務に関する不履行が存したとしても、これに基づく損害賠償請求権は、春吉ないし原告が右債権を行使することができるときから消滅時効が進行するものと解されるところ、前記認定事実によれば、春吉ないし原告は、遅くとも、深井医師らから勧められた再手術を最終的には拒絶した日である昭和五二年二月二三日には右債権を行使することができたものと認められ、したがって、遅くとも被告の主張する同年同月二八日から消滅時効も進行するものというべきである。なぜなら、右損害賠償請求権につき原告の主張する被告の債務不履行は、すべての右日時以前の被告病院の医師らの行為に関するものであり、また、原告らが右日時以前である同月二三日に被告病院の医師らの再手術の申し出を最終的に拒絶したことにより、右医師らは春吉の病状を外科的に回復させる方法を失い、保存的療法を続けることによって僅かに春吉自身の回復力に頼るしかなくなり、しかも、原告は、本件手術後しばらくしてから右医師らの診療行為に疑念を持ち、以後再三にわたり自己の抱いた疑念について説明を求めるなどし、遂には再手術の申し出を拒絶するに至り、しかも、右拒絶の際には右医師らの診療行為に過誤ありと主張しているので、原告は当時既に被告の債務不履行についての認識も十分に有していたものと認められるからである。
3 したがって、右損害賠償債権は、昭和五二年二月二八日から一〇年を経過した昭和六二年二月二八日をもって時効により消滅したものと認められ、また、被告が右時効を本訴において援用したことは当裁判所に顕著である。
なお、原告が本訴を提起した日が昭和六二年三月二六日であることは当事者間に争いなく本件記録上も明らかであって、右日時までに右消滅時効は完成しているから、本訴提起が右消滅時効を中断しないことは明らかであり、他に時効の中断事由は認められない。
三よって、原告の被告に対する本件診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償として金八〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年四月二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
四以上のとおりであるから、原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官古川正孝 裁判官柴田寛之 裁判官牧賢二)